2012年3月29日木曜日

野村四郎先生

3月10日赤坂で「春と修羅」を観た後で、まったく想像もしていなかった展開がおこりました。
鵜澤先生が尊敬する、野村四郎先生のお話をいっしょに聞かせていただきました。
塩尻能の「俊寛」のシテ(主役)を演じられる方です。
日本能楽会会長です。

以前に鵜澤久先生の能「芭蕉」の公演で、野村先生の仕舞を見たことがあります。
まるで中世の絵巻物から抜け出てきたような古雅な姿が記憶にのこっています。
とても柔和な笑顔で「塩尻能がんばりましょう」と声をかけてくださいました。
能はシリアスなものが多いからこそ、普段は明るくたのしいことをが大切と心がけていらっしゃるそうです。
「俊寛」については、どういう演出にするかすでに考えはじめていらっしゃるようでした。
現代能などいつくもの舞台を抱えながら、つねに役を深耕されてるのではないかと感じました。
あとのお話の中で、それぞれの能(役)の「性根」をつかむことが大事ですともおっしゃっていました。
「性根」という言葉は世阿弥が自著のなかで使っているそうです。
塩尻能の俊寛は揺籃の中に始まっているのを実感しました。
はたして、野村先生はどんな世界を作りだそうとされているのでしょうか。
とてもスリリングであると感じています。
能に、純粋な愛情と、とても強い情熱を秘めていらっしゃることに感銘をうけました。

「春の修羅」をご覧になった感想は、「今日の舞台は土の匂いがしました、宮沢賢治は土の匂いがしなければだめなんです。」からはじまりみずみずしい感受性あふれる言葉に、芸術家の感性の豊かさに圧倒されました。
鵜澤先生は野村先生の暖かい言葉にうれし涙を浮かべていらっしゃいました。
先生の黒い鞄にはぎっしりと本か資料がつまっている様子です。
そこから「僕は変な男でいつもこんなものを持ち歩いています。この前見た感想もここに書いてあります」とモレスキンの小型の黒い手帳をとりだされました。
ページには小さな字がぎっしりと筆やペンで縦書きに書き込まれています。
お若いころの写真、ギリシャ公演のときの貴重な舞台写真、弟さんの新聞記事の切り抜きとともに。能の歴史がつまっている、小さな宇宙のような手帳でした。
また、数学者、岡潔の「数学は芸術である」という言葉に感銘を受けられたお話、同じく数学者の藤原正彦さんの自然観や、日本文化の紹介者小西さんの「わび」のお話など、多岐にわたり、能との共通性を見出されているのではないでしょうか。
若いころ、能に転向されたばかりの内弟子修行中のころは周りから遅れていて、それを気遣った先輩の観世寿夫さんが稽古をしてくれて、深夜1時すぎから二人で猛稽古されたお話。
それから厳しいことも必要だけれど、生徒のいいところをみて育てていくことが大切ですと仰っていました。アーティストであるとともに教育者でもあるんですね。
最後に、
「能というものは書物で伝わるものではないんです。
人から人へ伝えていくものなんです。」
という言葉には、なにか、ずしりとしたものがこちらに伝わってきました。
それはとても新鮮な経験でした。

1 件のコメント:

  1. 応援ブログ毎回楽しく拝見させていただいてます。
    能の世界はいままでわからないことが多く難しい印象でしたがどんなものか説明いただき興味がわいてきました。
    これからの説明も楽しみにしています。
    頑張ってください。

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