2012年6月22日金曜日

能のトリビア?

塩尻市ロマン大学様の講義後にお邪魔して、少しお話をさせていただきました。
学生の皆様は目が輝いていて若々しかったです。
つたない話を聴いてくださってありがとうございました。
↓は原稿メモです。


能は世界遺産でもあり、その芸術性と長い伝統、前衛性から世界中から一目置かれている芸能です、

これは日本人の感性、精神、美意識が世界の宝として、認められているということに他なりません。
神楽、古事記の神話や、伊勢物語、源氏物語、平家物語、仏教の思想、中国の文学などを題材に
200くらいの曲があります。
長野県にも能の舞台になった、謡跡があります。

能の舞台は1時間から長くて2時間ほど上演されます。
しかし通し稽古、リハーサルはありません。
申し合わせという簡単な打合せを一回するだけです。
ですから、舞台上の出演者全員が最大限に集中しています、真剣勝負です。
地謡や、囃子方は微動だにしませんが、決して休んでいるわけでなく、
無言の内にも互いを支えています。
だからこそ、そこに日常からかけ離れた空間と、時間が生まれます。
その舞台の緊張感は、観客が引き出すものでもあるので、観客も舞台の一員といえます。

シテ方の後に、後見という方がいます、らくだなあと思われるかもしれませんが、実はちがいます。
万が一舞台でシテ方になにかあったら、後見がさっとたちあがって続行します。
ですから、なにがあってもいいように、シテと同じ心構えと練習をしています。

ワキという役は、物語の語り部であり、シテの話を聞きだす、引き出す役割があります。
今回のワキの宝生閑先生は、「幻視の座」という本が図書館にありますから読んでみてください。
おじい様が夏目漱石に謡を教えていました。
でもよくさぼってお弟子さんを行かせていたそうです。
宝生閑さんによると、観客はワキが見る夢や幻をみているそうです。

よく能は無表情といわれますが、
型にはめることによって、内側から内面が浮かびあがってきます。
役者の個性がにじみでてきます。
演劇の表現方法としても極限までしぼりこみ、押さえこむことで、かえって感情が純粋、強く伝わります。

じっとして動かないように見える動きですが。
筋肉をなにもつかってないようにみえますか?
じつは、車に例えると、アクセルとブレーキを同時に踏んだ常態なのです。
そこでつりあって、静止しているように見えるのです。

以前ワークショップにいらした、笛方の藤田さんの笛(能管)は、
室町幕府の将軍足利義政から拝領したという由緒のある笛と伺いました。
囃子方の楽器は代々大切にされてきたものが多く、
一子相伝で、自分以外には、指一本触れさせません。
24時間肌身離さず、自分の体よりも大切にされています。

囃子方の大鼓は世界一痛い楽器といわれています。
馬の革、桜の木、麻のひもでできています。
ワークショップで実際に打たせていただきましたが、
の部分ではなく、鉄の枠を手の平で打つので、手がはれ上がります。泣きたいくらい痛いです。
革は一回の公演で消耗してしまうので、とりかえなくてはなりません。
一つの公演に一頭の馬の命がこもっていると言えます。

みなさま、ご自身が、自分が舞台を観て、聴いて、どう感じるか、どんなイマジネーションを受けるのか、それを感じてほしいと思います。
能は言葉がわかりづらいと言われますが、感情は、言葉を越えて、ダイレクトに伝わってくると思います。

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